【 江戸の防災対策 】

[09/09/20]


 

 

いつ、どこで起きるかわからない地震には日ごろからの備えが大切ですが、江戸の町に優れた防災マニュアルが存在していたことをご存知でしょうか。

 

■地域全体で助け合い

1855年、大都市江戸をM7クラスの地震が襲い(安政江戸地震)、死者推定1万人の被害が出たほか、1万4000戸以上の家屋が倒壊、およそ1.5平方キロメートルが焼失しました。

火災が多かった江戸には、とび職人らで組織された48組の町火消という消防組織があり、地震後はまず人命救助と消火作業がおこなわれたと思われます。

当時の消火方法の主力は建物を壊して延焼を防ぐ「破壊消火」ですが、町火消の頭(かしら)は普段から人々の尊敬を集めていたことから、頭が壊す家がたとえ自分の家であっても住民は協力して消火活動をしました。

 

■十分な量の食糧を備蓄

一方、町ではその日のうちに応急手当所が設置され、炊き出しが始まります。驚くことにこのとき町には46万石(1石=1000合)もの米が備蓄されていました。当時の(武家や寺社を除く)町人の人口は60万人程度でしたから十分すぎるほどの備蓄量です。

また復興対策も当日に決定され、翌日には御触書(おふれがき)が出されます。そこには炊き出しをすることのほかに、◎5か所の避難所を設けること、◎買い占めの禁止、◎物価・人件費の値上げ禁止、◎ほかの地域から職人を集めること、などが書かれていたといいます。

 

■江戸のまち流仮設住宅

さらに驚くのが、わずか半日でたたみ2000畳分の避難所がつくられたことと、ものすごいスピードで仮設住宅が建てられたことです。

これを実現できたのは、あらかじめ建物の構造や部材を決めてマニュアル化し、必要な品や部材を揃えておいたから。屋根や壁用の羽目板、障子、雨戸などはそれぞれパーツごとにつくっておいてすぐに組立てられるようにしていました。これぞ現代でいうプレハブ工法です。

江戸の大火を教訓としてつくられた防災・復興マニュアルですが、いまの日本でも活かして災害に備えたいものです。

 

 

 

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